かがわ文化芸術祭

かがわ文化芸術祭2022参加公演
瀬戸内海ミュージカルシリーズでつづる平和への祈り

参加者の感想

小学生の頃、体育館で「ぴっちゃかポンチャカ物語」を観ました。当時は、いじめっ子でいじめられっ子役の大子ちゃんが印象的で、子供の悩みに向き合ってくれる存在でした。もう1度、この作品を見たい!とずっと思い続け、本当にこの感動作品と、当時は知らなかったシリーズを観ることができ、涙が止まりませんでした。
今回は、「栗林オペレッタ」小学生主体の地域での活動に、中学生として自分の子供も参加させていただき、歌やダンスのご指導、当時の出演者の方々とご一緒させていただくことができ、本当に嬉しく胸がいっぱいです。(練習参加した中学生の中には、部活の試合で出演していない子達もいますが、小学生からのエールをいただきながらの練習も良かったと思います。)
今、世界でも、目を逸らしたくなる現実が起こっていて、子供達のこれからの未来をどうするか?平和への祈りを込めたこの作品を観て、改めて向き合って考える時間を過ごすことができました。自分がっこどもの頃に心に残った「ぴっちゃかポッチャカ物語」この戦争に対するメッセージが深く込められた作品に、もう1度巡り会えたこと、深く心よりかんしゃいたします。
次の子供達へ、平和への祈りがつながりますように。

栗林子育て部会 園藤小百合

高松市美術館の八木亮三さん没後10年を追悼する会に行った。
劇団R&Cの創立メンパーであり、1 人でさえて来られた広瀬多加代さんを中心に、元団員の方たちが集まり、かつての演目の瀬戸内海ミュージカルシリーズをみせてくれた。
会場のスクリーンには、劇団が、全国各地を公演して回っていた頃の写真も次々とうつしだされた。
冒頭で、広瀬多加代さんは、なぜ演劇の道に進んだかを語られた。学生時代から目指していたが、成人式で教育長の「何か一つ目標を持 って生きてください」と言われた言葉が、ずっと頭から離れず、以来演劇の道に。
私が広瀬多加代さんと出会ったのは、2005年にヒロシマ被爆手記期続とトークの会を始められた頃。
当時、劇団の事務所には、八木亮三さんと広瀬さんのお2人しかおられなかった。
今はその事務所も無い。
八木亮三さんが作品に込めた平和への祈りはよみがえった。
劇団R&Cは、学校へも公演して回ったという。1970年生まれという友人は、「『ぴっちゃかポッチャカ物語』のうたを歌えるよ。学校でみたもん。」と言っていた。
子どものころにみたものは、こうして心に残る。
演劇の力をあらためて知らされた。
原爆感霊碑の言葉、「過ちは繰り返しませぬから」 ヒロシマを伝え、平和への祈りを続けなくては。

湯浅文代

普段、なんとも思わずに瀬戸大橋を使っていただけど、瀬戸大橋をつくるときに海底爆破工事が行われ、海の環境を破壊して今の便利な生活があることを知って、これからは、この出来事を思い出しながら瀬戸大橋を利用し、これ以上、海を汚さないように自分にできることは積極的に行なって、きれいな海を残したいと思いました。広島の原爆がテーマになっていた劇をみて、原爆で被爆した人のことは小学生のときに習い、とてもつらかったと知っていたけど、被爆二世の人々もつらい思いをしていたことを知り、原爆の被害は長い間続いていたのだと思いました。今の平和な時代が“あたり前”になっていることは当たり前ではないと思い、平和のありがたさを実感しました。

M. K. [中学2年生]

「瀬戸内海ミュージカルシリーズでつづる平和への祈り」とても良かったです。演技されている方々の素敵な笑顔、語りかけるような朗読の声、おひとりおひとりの台詞の言葉が心に届きます。まるで目の前に台詞のその景色が広がって見えるような・・・・・さすがだと思いました。こんな素晴らしいミュジカルに招待していただきありがたく思います。人の縁、絆、、大切にしたいですね。縁がなければ出会うこともなかったのですから。

辻村節子

当時、観劇したお二人の話を聞いていると、私も同じように、小学校の体育館で観劇していたのかも・・・ととても懐かしい気持ちが込み上がってきました。
私の誕生日は8月6日なので、幼い頃から、戦争や平和について、いつも身近に感じながら生きてきました。こういうテーマは、今の子どもたちには少し重いのかもしれませんが、今回のような物語に今のうちに触れていってほしいと思います。
そして、その時感じた何かは、そっと心の中にしみこんで、大人になった時に、きっと平和への気持ちが花を咲かせることでしょう。地球のあちこちで聞く、悲しい戦いが少しでもなくなりますように。

飯田幸子